日本労務学会での研究発表
東洋大学白山キャンパスにて開催された日本労務学会第54回全国大会にて、「人的資本経営が投資家コミュニケーションにもたらす変化:有価証券報告書『事業の状況』のテキスト分析」と題した研究発表を行いました。
この研究発表では、2020年9月に公表された「人材版伊藤レポート」に前後して実務的な関心が高まっている「人的資本経営」に注目して、人的資本経営が企業の経営行動をどのように変えているのかを捉えようとしました。ただし、従業員の態度・行動や企業業績への影響を捉えるにはまだ時期尚早であろうということと、人的資本経営の実践のひとつとして利害関係者向けの情報開示が含まれていることを鑑みて、「人的資本経営」の言説の普及に合わせて有価証券報告書(有報)の定性的記述がどのように変化しているのかを検討するという落とし所をとっています。
具体的には、JPX日経400に選定された企業のなかから特定の条件を満たした215社を対象に、2020年3月期から2023年3月期までの4会計年度の有報のテキストデータを収集・分析して、報告者が設定した「人事管理に関する概念語」の出現頻度を算出しました。分析に使用した項目は、人的資本の情報開示の義務化にともなって新設された「サステナビリティに関する考え方及び取組」ではなく、現時点でも経時的変化を追うことができる「経営方針、経営戦略及び対処すべき課題等」としました。
分析の結果、(1) 2020年3月期や2021年3月期に比べると、2022年3月期や2023年3月期は概念語の出現頻度が高いこと、(2) ダイバーシティや働き方、人材育成、人的資本、人事制度の全体像に関する言及が相対的に多いことなどが明らかとなりました。この結果はあくまでも現状を描出しただけに過ぎず、ここからどのような理論的・実践的含意を提示するのかは課題として残っています。しかし、こういった変化を切り取った議論はあまり無いようで、聴衆の方々からもさまざまなコメントを頂戴しました。分析対象とするデータの拡充を含め、もう少し試行錯誤してみたいと考えています。
また、この報告は、有報の定性的記述が人事管理研究において一定の利用価値を持つ可能性があるか否かを検討したいというもうひとつの意図を含んでいました。実は、相対的に企業内地位が低い人事部門のことは有報にあまり書かれていないと思われていたのか、人事管理研究において有報の定性的記述が使われることは管見の限りほとんどなかったのです。しかし、今回215社・4決算期(=860の記述)を分析した結果、(1) 人事管理に関する言及がある程度みられること、(2) その記述量には企業間のバラつきがみられることが確認されました。バラつきの理由やそのバラつきがもたらす影響が上手く議論できれば、企業数・期間を飛躍的に拡大させたパネルデータでの比較分析が行えるかもしれません。この点についても、理論的基盤を補強して、何らかのかたちで議論を深めていければと思います。